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●おしょう記●あっという間に連休も終わった。毎年日程途中にお参りがあったりして、特に大それた計画は立てないのだが、例年通り、美也子の実家の美山に一泊だけ帰省した。 今年は美也子の一番下の妹の家族3人も同時期帰省で、久しぶりに一緒に夜バーベキューなども。妹家族の娘(姪)も今年から短大生になったそうだ。バーベキューの後の炭の上に薪を置いて、簡易キャンプファイヤーもしたが、なかなか街中ではできない安らぎの炎を堪能した。 炎には人間を安らげる効果があるはずだと確信しているが、最近気軽にそういうことをする場所が少なくなったことも、殺伐とした社会に影響を与えているのではないかとさえ思っている。そういう意味では、昔の囲炉裏なども家の中に復活させたい・・・と、言ったら、小さい頃囲炉裏のある家で育った美也子にその大変さを延々と聞かされた。 ●連休の途中に、美也子が理事をつとめる福祉関係のNPO法人の会合が北区の「らく相談室」でつとめられた。 ちょうど風邪気味で体調もすぐれず、本来なら出かけていかないところだが、この日はその法人の専務理事をつとめる I さんが「佐村河内 守」(さむらごうち まもる)さんについて講演されるということで、美也子について出かけていった。 自らも1年前に脳梗塞の半身不随から言語障害、身体障害、嚥下障害などを負い、岡山や大阪の病院を転々とされて、やっと京都に帰って来られた I さんが、奇跡的に回復されてきて、昔のように意欲的にいろいろなことに取り組まれている。最近もっぱら推薦されていたのが全聾の作曲家の佐村河内さんの著書「交響曲第一番」という本だった。 やっと連休前に手にいれ、ほぼ一日で読み終えたが、噂どおりのすごい本だった。広島生まれの被爆二世といっていいのだろうが、それより小さい頃からの音楽にたいする情熱だけで音大の受験も拒否し、単身東京に出て独学で苦労しながら作曲活動を続け、やっとゲーム音楽の伴奏などで認められ始めたころ、最愛の弟が亡くなり、また自らも難聴が進行し、ついに35歳で全聾となる。 そればかりか、発作や頭の中には轟音が鳴り響く難病を抱え、ついに腱鞘炎でピアノも弾けなくなりながらも、絶対音感に支えられて作曲活動を続ける。 あまりの過酷な運命から精神障害も抱え、二度の自殺未遂もするが、たまたまボランティアで行った先で知り合った盲障害を持った少女との出会いが支えとなり、ついに自らの交響曲を完成し、今また自らのルーツである「ヒロシマ」の交響曲の作曲に打ち込んでいるという。 ●佐村河内さんと個人的にも連絡を取り合っている I さんは、6月ぐらいに京都に来たいと言っておられる佐村河内さんの受け入れ企画や、いずれ広島と京都を結んで交響楽団で「ヒロシマ」を演奏する壮大な計画(企画)なども語っておられた。また佐村河内さんから送られたという秘蔵のCDなども聞かせてもらった。 本を読んだだけだが、世の中には業として「過酷な運命」をたどらざるをえない人がいることを、またその闇の中でこそ本当の生きる希望を灯していけるということを強く教えられた。 ●その他、地域の少年補導の「こども大会」の企画や、新たな任務で押しつけられた?自治連合会の広報担当としての「ニュース」の作成や、1か月前に終わった花まつりの会計処理、やっと週末に発送できた「おてらハウス通信」の作成など、細かい作業にも追われていた1週間だった。 |
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