インド旅行記 3

2月11日(7日目)ブッダガヤは何といっても、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開かれた「成道(じょうどう)の地」。 仏教徒にとって最も大切な聖地と言っても過言ではないかもしれない。

●現在、お釈迦様の成道の場所には、大きな精舎(しょうじゃ)が建っていて、その裏には4代目といわれる菩提樹と金剛法坐がある。我々も杉若和尚の導師の元、そろってお参りをしたが、精舎のまわりには世界中の仏教徒が訪れて、それぞれのやり方で礼拝やお祈りをくりかえしている。

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精舎の後ろ、菩提樹の前にて
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日常、直接お釈迦様を拝む機会の少ない浄土真宗などでは、今ひとつピンとこないところもあるかもしれないが、特に、タイヤミャンマーなど、東南アジアに伝わった「上座部仏教」(テーラワーダ)では、お釈迦様自体が、直接信仰の対象であり、身体全体を大地に投げ出す「五体投地」というお祈りの仕方をされる人々も多く、専用の板をつかって何度も何度も実行されていた。

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ある意味、教えがシンプルで若干うらやましい気もした。

●ブッダガヤでの宿は「スジャータホテル」。オーナーは10代の頃から日本に来ていたというプラサドさん。もちろん日本語ペラペラで、京都の三条大橋近くでインドレストランを経営し、左京区に家も持っているという。そのプラサドさんも同行して、日頃から何かと援助をされているというある村を訪れた。

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日本からの援助で運営されている「学校」を見学。その後、近くにある村を訪れた。本当に何百年も変わらぬ生活を続けているような村で、電気も満足に来ておらず、子どもたちは人懐こくかわいいが、ほとんどが裸足だ。

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その村では水をポンプでくみ上げているが、最近水の出が悪くなってきたそうで、ぜひもっと深く井戸を掘る援助をしてほしいということで、さっそく杉若さんたちが新しいプロジェクトの相談をしていた。


●午後からは、AD5cから700年近くにわたって多くの仏教者を教育し、当時の世界で最大の大学と言われたナーランダー仏教大学の跡を見学。ここには、「西遊記」のモデルにもなった、かの玄奘三蔵法師も留学されたという。

一万人もの学生が、そこで暮らしながら学んだといわれる巨大な遺跡だが、13Cごろに統治したイスラム教の王がここを焼き払い、6000人もの学生たちが虐殺された場所だ。

ナーランダー仏教大学跡にて、ここも何百年も土に埋もれていたという
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今は、その土台となった基礎の部分だけが残っているが、それでも当時の大学の規模を推し量るに十分な遺跡として残っている。何千人もの学生が、ここで仏教の勉強と生活と宗教を統一して日々を送っていた頃、その熱気はいかばかりであったことだろうか?

●インドに着いたばかりの頃から、慢性的に腹具合は良くなかったのだが、この頃になるともうかなり悪くなって、ほとんど固形物は食べられなくなっていた。決して生水を飲んだり怪しいものを食べたりしたことはないのだが、どうやらインドの刺激物に口は慣れても、胃腸は慣れないらしく、色々薬を飲んでも改善には向かわなかった。

仕方なく、スープだけを飲んだり、柔らかいものだけに口をつけたり、時には一食抜いたりしてしのいでいた。初めての人でも全然大丈夫な人もいるので、やはりこれは個人差があるようだ。

●この日のホテルでの夕食後、皆で「温泉精舎」に出かけた。「温泉精舎」とは、温泉の湧いているヒンズー教寺院のことで、地元の人が訪れて疲れをいやす一種の「公衆浴場」である。

大きな門をくぐり、薄暗い建物の中を過ぎると、天井はなくて壁に囲まれた細長い広場があり、そこはいわば脱衣所。そこで水着に着替え、かかり湯のあと、さらに階段を下って5m四方ぐらいの四角い井戸のようなところへ降りていく。その「井戸」の底にお湯がたまっていて、そこが「温泉場」。

携帯で撮ってもらう。かろうじて写っている?
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意外に心地よい温度の温泉で、井戸の底から空を見上げるような感じで気持ち良かった。先に何人かのインド人がつかっていたが、うさんくさそう、女性を含む日本人の一行を見ていた。

薄暗いのでわからなくて良かったが、階段といい、温泉場といい、明るいとおそらく色々なものが目に入りすぎて、安心してつかっていられなかったかもしれない。
とにかくディープなインドを体験したような気になれて面白かった。

2月12日(8日目)
いよいよ実質的な最終日。昨夜も午前1時ぐらいまでトランプ!をやっていたが、朝5時起床。バスで数十分のところにある「霊鷲山」(りょうじゅせん)に参拝する。鷲の姿をした岩がそびえることからこの名がある。

ここは、小高い岩山の上にあり、お釈迦さまが数々のお説教をされたところとして有名で、お経の中にも良く名前が出てくる。

霊鷲山頂上にて
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ふもとから石の階段を登る。起きがけの身には、けっこう足にこたえる。20分後、やっと頂上に到着。頂上は狭いながらも平面になっており、祭壇などが設けられている。また杉若和尚の導師の元、お経をあげながらご来光を待つ。

残念ながらこの日は空が曇っていて、山の間からのご来光は拝めなかった。

かのアナン尊者が暮されたという石窟で
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ここには、他にもお釈迦様の弟子の有名な舎利佛(シャリホツ)や阿難(アナン)尊者たちが生活されたという石窟もあり、お経の世界を実感する思いだった。

昨年末亡くなった義父の写真が入った数珠を持ち歩いて仏跡を巡った
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●また帰りには「観無量寿経」というお経などに描かれる「王舎城の悲劇」で、ビンバシャラ王が息子のアジャセ王子に幽閉されたという「七重の牢獄」の跡なども見学。しっかり石の基礎が残っていた。

七重の牢獄跡、本当にあったんだ!
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そこから先ほどの霊鷲山の頂も臨むことができ、あそこからイダイケ王妃の要請に応じて、お釈迦様がお弟子とともに神通力で来られたのだなと思うと、かって「王舎城の悲劇」を紙芝居でも作ったこともある住職としては正に「感無量寿経」(いちおうダジャレですよ)だった。

ひょっとしたら2500年前にビンバシャラ王が触れたかもしれないと思い、記念に小さな石のかけらを拾う。

●この後、午後にはガヤ空港から飛行機に乗り込み、バンコク経由で十数時間かかって日本時間13日の早朝帰国した。長いような短いような毎日が刺激に満ちた8日間だった。






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