人はだませても・・

●おしょう記●3月中にアップしたかったのだが、アクシデントもあり、4月に突入してしまった。まだまだ寒い!

●まずアクシデントの話から・・。ある意味「竹取物語 Ⅱ」と名付けてもいいのかもしれない。

先日の日曜日。美也子の実家である美山町へ里帰りした。

ちょうど先日滋賀県に取りに行った竹を使った「子どもあんどん」の骨組みを仮に組み立てたときに、見栄えの悪いフレームなどを隠すのに、もう少し笹が必要ということがわかったので、実家の近くの川まで取りに行くことにした。

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近所なので軽い気持ちで一人で出かけた。前に足を捻挫してひどい目にあったことがあるので、長靴をはいて、足元には充分気をつけながら進んでいった。

●のこぎりで何本かの笹を切って、もう一本だけ取ろうと新しい笹に近づいた時、一瞬、目にチクッと痛みが走った。大したことはないだろうと、そのまま笹をかかえて帰ってきた。

ところが時間が経つと、ますます目が痛くなってきた。そのうち時々激痛も走り、涙がこぼれて、とても目を開けていられなくなってきた。どうやら笹の葉が目を掠ったらしい。

体調もやや風邪気味ということもあって、これは早く家に帰ろうと、早々に実家を引き揚げ、ほとんど片目状態でボロボロ涙を流しながら、必死に車を運転して家まで帰ってきた。

それでも、ますます目が痛くなってきて、不安なのでタクシーで休日診療所へ通院することにした。

結局、やはり黒目が傷ついているということで、黴菌が入ると危ないので、眼帯と何種類かの目薬をもらって帰ってきた。

●それから2日間ぐらいは、なるべく必要以上は目を使わない状態で暮らしていた。

TVやパソコン、読書もふくめて、普段、目を使うようなことばかりしていることを、改めて思い知った数日間だった。

4,5日で自然治癒するということだったが、改めて目の大切さを思い知り、それに頼りきっている生活も考えさせられた日々だった。

●話は全然変わって、冒頭のタイトルの意味だが、そのまま取ると「人はだませても自分の良心はだませない」みたいにカッコよく受け取られるかもしれないが、これには驚くようなエピソードが隠されている。

またまた夕食の話題で恐縮だが、

先日の夕食時、メニューは豚肉と魚だった。今更これくらいのメニューでがたがた騒ぐようなことはない。普通においしくいただいていた。ただ魚については、美也子が事前に

「少しとんでいるけど・・。」

とは言っていた。「とんでいる・・?」の意味がよくわからないまま、結構味が濃いなあと思って食べ続けていた。

しばらくして美也子も同じ魚に口をつけた。そのとたん

「あっ!やっぱりちょっとやばいかな・・。」と箸を置いた。

「とんでるて、期限が過ぎているということか?」と尋ねると

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「はは・・やっぱり人はだませても、自分の舌はだませへんわ・・。」

と言って、そうそうに魚を食べるのをやめてしまった。そう言われると、今まで味が濃いと思って食べていたのは、腐る寸前の味の濃さだったのかもしれない。

しかしその時点で、もう三分の二以上は食べてしまっていた。なんと美也子は、人がほとんど食べ終わろうとしている魚を、自分は一口食べただけでやばいとやめてしまったのだ。

●もちろんこれくらいの事は主婦ならば日常茶飯事だろう。賞味期限も絶対とは思っていないし、今までにも知らずに食べていたこともしゅっちゅうあっただろう。

しかし「人はだませても・・」のフレーズがこのようなシチュエーションで使われるとは思ってもみなかった。

いずれ「竹取り物語」ともども、アクシデント続きの日々であった。

●まあ、おかげさまで何とか目の方も回復して、こうしてパソコンも使えている。今日は本山の春法要もあって、午前中出仕して1時間以上の正座にも耐えた。美也子も朝から婦人会の手伝いである。

明日はお葬式もあり、その後は大阪方面へお説教行脚。

そんなことで、来週の花まつりに合わせての「現代仏画展」まで、しばらく臨時休業のおてらハウスです。

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